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福岡地方裁判所 昭和42年(ワ)1047号 判決 1969年7月30日

原告

長菅悟朗

被告

梶原直

主文

一、被告は原告に対し金二〇五、九二〇円およびこれに対する昭和四二年一〇月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四、この判決の第一項は、原告において金五〇、〇〇〇円の担保を供するときは、仮りに執行することができる。

事実

(申立)

一、原告 「被告は原告に対し金八三三、六八〇円およびこれに対する昭和四二年一〇月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告 「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

(主張)

第一請求の原因(原告)

一、被告は昭和三九年九月九日午後七時四〇分ごろ自家用乗用自動車(大分三す一一一八)を運転して福岡県粕屋郡新宮町大字上府の国道を進行中同所を歩行中の原告に右自動車を衝突させて、原告に脳震盪、右大腿骨々折、頭部右大腿挫創、腰部挫傷の傷害を負わせた。

二、被告は右自動車を所有している。

三、原告の損害は次のとおりである。

(一) 逸失利益

原告は事故当時日立建機株式会社福岡サービス工場に建設機械の修理工として勤務し、一ヶ月平均二四、〇〇〇円の収入を得ていたが、右傷害のため就業が困難となり、昭和四〇年一一月同社を解雇されて失業するに至り、そのうえ今後二年間は後遺症により就労が困難である。従つて、次のような得べかりし利益を失つた。

1、昭和四〇年一二月以降昭和四二年九月まで二二ケ月間の収入金五二八、〇〇〇円

(24.000×22=528.000)

2、昭和四二年一〇月から二年間の収入をホフマン式複式計算法により中間利息を控除して計算すると金五三五、六八〇円となる。

(288.000×1.86=535.680)

(二) 慰藉料

原告は昭和三九年九月九日から同月一五日まで長岡外科医院、同日から昭和四〇年一二月八日まで茂木外科医院、昭和四一年三月一日から昭和四二年七月二四日まで福岡赤十字病院に入院して治療を受けたが、なお治癒するに至らず、現在右膝関節の機能障害、右大腿骨短縮が残り跛行しなければならない。原告は現在まで多大な精神的苦痛を蒙り事故当時二五才、未婚であるから、今後とも精神的苦痛が継続反覆することが容易に予想される。従つて、慰藉料は金五〇〇、〇〇〇円が相当である。

(三) 弁護士費用

原告は本訴のため昭和四二年八月八日弁護士小泉幸雄に着手金として金三〇、〇〇〇円を支払つた。

四、よつて、原告は被告に対しすでに受領した金七六〇、〇〇〇円を控除した残金八三三、六八〇円とこれに対する訴状送達の後たる昭和四二年一〇月一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第二答弁(被告)

一、請求原因一の事実中事故発生の事実のみ認め、その余の事実は不知。

二、同二の事実は認める。

三、同三の(一)の事実は不知。

同(二)の事実中原告主張のように長岡外科、茂木外科に入院治療を受けたことは認めるが、その余の事実は争う。

同(三)の事実は不知。

第三抗弁(被告)

一、示談の成立ならびに弁済

(一) 昭和三九年一〇月二五日本件事故につき原被告間に次のような示談が成立した。すなわち、被告において、治療費、休業補償費、入院付添料を負担するとともに、見舞金として金六〇、〇〇〇円(うち金五〇、〇〇〇円は自賠保険金)を支払い、原告はその余の請求をしない、という内容であつた。そこで、被告は原告に対して金六〇、〇〇〇円を支払つた。

(二) 昭和四〇年一二月二七日右示談とは関係なく、被告は原告に金七〇〇、〇〇〇円を提供して、これにより本件事故による損害賠償の問題は全部示談により解決した。

二、過失相殺

本件事故は原告主張の場所において原告が進路左側の日立建設機械サービス工場の正門から下を向き早足で本件自動車の前方を横断しようとしたので、被告がこれを二五メートル手前で認めてブレーキを踏み急停車の措置を講じたが間に合わずハンドルを右に切つて国道の右側に避けようとしたところ、車輪が側溝に落ち込んだが、その際アンテナのところに原告が体をぶつけてその位置に坐り込んだような状態になつた。従つて、本件事故は被告だけの過失によるものでなく、原告の過失が競合して発生したものである。

第四抗弁に対する認否(原告)

一、抗弁一の(一)の事実は認める。

二、同(二)の事実中原告が金七〇〇、〇〇〇円を受け取つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三、同二の事実は争う。

第五再抗弁(被告)

被告主張の昭和三九年一〇月二五日の示談は各項目の金額の表示がないので、これに拘束されるものではない。

第六再抗弁に対する認否(被告)

争う。

(証拠)〔略〕

理由

一、原告がその主張の日時場所において被告運転の自動車に衝突されたことは当事者間に争いなく、〔証拠略〕によれば原告が右事故によつて傷害を負つたことを認めるに十分である。

二、被告が右自動車を所有していることは当事者間に争いがないので、被告は運行供用者として右事故によつて生じた損害を賠償しなければならない。

三、昭和三九年一〇月二五日本件事故について原被告間に、被告が治療費、休業補償費、入院付添料を負担するとともに、見舞金として金六〇、〇〇〇円(うち金五〇、〇〇〇円は自賠保険金)を支払い、原告はその余の請求をしない旨の示談が成立し、被告が原告に金六〇、〇〇〇円を支払つたことは当事者間に争いがない。

これに対して、原告は右示談に束拘されない旨主張するので検討すると、〔証拠略〕を綜合すると、原告は事故直後現場近くの長岡外科医院に入院したが昭和三九年九月一五日被告と知り合いの茂木外科医院に転院したこと、両医院ともに原告が頭部腰部に、受傷したほか右大腿骨々折の傷害を受けて加療約四ケ月と見込まれていたこと、右示談当時原告は茂木外科医院でまだ痛み止めの施療中であり、被告との交渉は伯(叔)父の田中茂清(凡骨)に委せていたところ、前示のような示談が両者の間に纒つたこと、被告が右示談に基いて出捐したのは見舞金六〇、〇〇〇円(うち金五〇、〇〇〇円は仮渡金)のほかは入院付添料であつて、これも高々数万円程度に過ぎず、その余の治療費等は原告の健康保険でまかなわれたこと、ところが、原告が後に至つて右示談内容を知らされ、被告の出捐の低額なのと、同時に原告の手もとに入る金員の僅少なのに驚き、同年一二月八日同医院を退院したときは右下肢が五センチメートル短縮して跛行甚しく、股関節膝関節の運動制限があつて、正坐胡座のできない状態のうえ、頭痛頭重感も残存していたので、原告は同月二七日右のような後遺障害を主張して被告と再び示談交渉を始め、被告もこれに応じたこと、結局原告は翌四一年三月一日から福岡赤十字病院に入院して右大腿骨々移植術をうけて、翌四一年七月二四日右大腿骨短縮が約二・五センチメートルとやや改善されて退院し、その後昭和四三年七月一五日から同月三〇日まで福岡鳥飼病院に術後のプレート除去のため入院したほかは、一週間に一回ないし四回、平均二回位矯正訓練のため赤十字病院に通院していることを認めることができる。もつとも、〔証拠略〕中原告が茂木外科医院を退院する際はすでに完全治癒と言うべき状態であつた旨の供述部分があるけれども、〔証拠略〕に照すとこれは前示後遺障害が残存することを承認したうえでの「治癒」の診断であるから、このような後遺障害を幾分なりとも軽減しようとする原告の相当な努力を過剰なものとして損害から排除することはできない。

右事実によれば、前記後遺障害が右示談後相当程度治療を続けた結果漸く明確になつたものであり、右示談当時双方の予想した範囲を逸脱すること著しく、しかも当初のむしろ低額ともいうべき示談金と対比し、その示談内容、成立までの経緯、時期その他の事情をも考慮するとき、当初の示談が原告に生じた損害全部に及ぶと考えるのは、あまりにも双方の均衡を失し、公平に反すると言わざるを得ない。

従つて、前示示談中の放棄条項がその余の損害には及ばないと解するを相当とする。

四、次に、被告は昭和四〇年一二月二七日さらに金七〇〇、〇〇〇円を原告に提供することによつて示談が成立した旨主張する。原告が同日同額の金員を受領したことは原告の認めて争わないところである。そして、右金額と〔証拠略〕を綜合すると、右金員の授受を示談の成立と見る余地がないとはいえないのであるが、しかし、当初の示談なるものが原告の関与なしに伯(叔)父の一存で進められたことはさきに見たとおりであり、右証拠に〔証拠略〕を綜合すると、原告は直接被告のもとを訪れて再交渉した結果、右金員の授受に至つたものの、示談書なる書面は別段作成しなかつたこと、その後間もない昭和四一年一月には原被告双方がそれぞれ強制保険金の支払請求をし、そのうち被告からした加害者請求において被害者たる原告への照会に対して、原告が示談成立を否定していること、そして被告の請求額七八一、〇二八円に対して填補金として法定限度額金六三〇、〇〇〇円が承認されたことを認めることができる。被告が当初の示談なるものには示談書を作成しておりながら今回はそのような書面を作成していないし、強制保険金の交付によつて結局被告の出捐がさほど多額に至らなかつたことから考えると、強制保険金の受領について双方それぞれ自己に都合のよいように思つていたとしか考えられず、〔証拠略〕をそのまま採用するわけにはいかない。従つて、本件証拠によるも示談成立と断ずることはできず、他にこれを認むべき確証はない。

五、そこで原告の逸失利益につき検討する。

原告は昭和四〇年一二月から昭和四四年九月までの逸失利益を主張する。原告が事故直後から昭和四〇年一二月八日まで入院し、その後昭和四一年三月一日から翌四二年七月二四日まで、再び入院していたこと、前示のような後遺障害があることは前認定のとおりである。そして、〔証拠略〕を綜合すると、原告は事故当時日立建機株式会社福岡サービス工場の建設機械整備工として勤務し、昭和三九年六月から同年九月まで平均給与一ケ月に金二〇、三〇〇円、その他に同年六月金一、五〇〇円、同年一二月金一一、〇〇〇円の賞与を支給されていたこと、しかし事故後の長期に亘る入院のため休職期間満了を理由に昭和四〇年一一月二〇日付で同工場を解雇されたこと、そして退院後の昭和四〇年九月から整備工場に再び就職し、続いてタクシー運転手として稼働し現在に至つたことを認めることができる。

原告が再就職するまでの昭和四〇年一二月から昭和四三年八月までの期間は、本件受傷のため休業を余儀なくされた期間として是認することができるので、原告は在期間中前認定の平均給与と賞与を得ることができなかつたと考えるべきである。そうすると、その合計が金七〇七、四〇〇円になる。

六、ところで、被告は本件事故発生につき原告にも過失があつたとして過失相殺を主張するので、この点につき検討する。〔証拠略〕を綜合すると、被告が本件自動車を運転して時速約六〇キロメートル位で前記日時場所に差し掛つた際、対向車の前照灯の照射を受けて眩惑され、前方の注視が困難になつたので時速約五〇キロメートル位に減速したが、そのとき前方約一七メートル位の日立建機の工場正門前に原告の姿を認めるとともに、進路前方を横断するような気配を感じたので急制動の措置を講じ、続いて原告が被告の自動車に注意を払わずに横断を始めたので衝突を避けるためさらにハンドルを右にきつたものの間に合わず自車左前フエンダー附近に接触したこと、本件事故地点は国道三号線の見通しのよい直線道路で、夜間とはいえ照明があつて明るく、交通頻繁なところであることを認めることができる。証人田尻清之助の証言は被告の自動車の後部左座席に同乗していて必ずしも前方を注視し続けていたわけでもないので、右証言をもつてしても右認定を左右するに足りない。

右事実によれば、被告において制限速度内とはいえかなり高速で進行していたのであるから、前方の安全を確認すべきことは勿論歩行者の姿を認めた際はその動向に応じて適切な措置を講ずるようにすべきであつて、この点被告の過失は否定すべくもないのであるが、一方原告においても、夜間交通頻繁な国道を横断しようとするのであるから、左右の安全を確認し、自動車の進行を見極めたうえで横断すべきであつて、この点不用意に横断を始めたことはいささか不注意の譏りを免れない。以上双方の過失の程度を考え併せると、前記逸失利益の算定にあたつてはその一〇の二を減ずべきものと解するのが相当である。そうすると、原告の逸失利益は金五六五、九二〇円になる。

七、次に、原告が本件受傷によつて精神的苦痛を受けたことは明らかなので、慰藉料額について検討する。原告の受けた傷害の部位程度、入院通院を通じて原告の受けた治療経過やその期間、右下腿短縮という後遺障害と現在タクシー運転手として稼働していること、双方の示談交渉、本件事故の態様、双方の過失程度についてはすでに見たとおりであり、その他本件に現れた一切の事情を綜合し、その慰藉料は金四〇〇、〇〇〇円を相当と考える。

八、さらに、原告が本訴を弁護士小泉幸雄に委任したことは記録上明らかであるが、原告がその手数料金三〇、〇〇〇円支出したことを認むべき資料はない。

九、ところで、被告が原告に合計金七六〇、〇〇〇円を支払つたことは当事者間に争いがないので、前記損害合計金九六五、九二〇円のうち金七六〇、〇〇〇円を控除すべきこととなる。

一〇、以上の次第であるから、被告は原告に対し金二〇五、九二〇円とこれに対する訴状送達の後たること記録上明らかな昭和四二年一〇月一日以降完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求はこの限度で理由があるので正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 富田郁郎)

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